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御林守河村家を守る会
旧金谷町大代にある【河村家】には7つの謎がある。
それは、河村家に伝わる伝説の秘仏・冑仏(かぶとぼとけ)の謎、寛政五年建築当初の間取りの謎・・・など
このように貴重な文化財である【河村家】は市指定文化財ですが、その維持管理に大変な苦労をしています。
建物は使わなくては老朽化します。この風情ある【河村家】を利用してイベントを行ったり、
大切な地域の文化財を守っていくことを地域のみんなで考え、協力していこう!という人々の活動の様子を紹介します
また、文化財に興味のある方も大募集!!!
投稿記事

2008年12月2日(火曜日)

党首会談(4)

Filed under: - kawamura @ 08時10分04秒

江戸時代にように
ひとつの体制が260年もつづけば
それは必然的に硬直化し制度疲労をおこし
やがては瓦解します。

ましてや西欧諸国では
産業革命や市民革命が澎湃として沸き起こっているとき、
ひとり日本は鎖国していたのですから、
江戸幕府が黒船の出現に衝撃をうけたことも
肯けるというものです。

鎖国は日本独自の文化を開花させましたが、
世界の潮流からすれば奇異な花ともなりました。

ひと言でいえばそれは箱庭文化です。

完成された支配体制のなかに押しこめられた
日本民族(戦国末期の宣教師の資料などによる)の才能は、
たとえばありふれた大工でも
数十種類の鉋(かんな)や鑿(のみ)や鋸(のこぎり)をあやつって
精密な障子の桟や柱や梁や、
あるいは日曜家具をつくりあげたように、
拡大するよりも集約する方向へ、
微細なものの美しさを創造する方向へむかったのでした。

この伝統は
現在のソニーの小型製品や
トヨタの車などに生きています。

世界の追随を許さないほどの驚くべき技術が
そこに凝縮しているのです。

私はちかごろ思うのです。

幕末の武士たちの立ち振る舞いが
西欧においてたいへん賞賛されたことを。

彼らはおそらくは
お世辞にも上手とはいえない英語をあやつり、
月代を剃り髷を結うという奇異な風体をしていたのですが、
欧米の上流人たちにはたいへん尊敬されたのです。

明治の乃木希典もそうでした。

そこで、
ひとつ提案があるのです。

話題は党首会談からはるかにそれますが、
ちかごろの円高を逆手にとって、
海外の主要大学に
留学生を大量に送り込むというのはいかがでしょうか。

それは面接を重視した留学生試験を課して、
ハーバートロースクールやシアンス・ポなどで、
国家予算を投じて大量の国費留学生に政治を学ばせるのです。

自由に英語仏語をあやつれる才能豊かな若者を
日本に閉じこめておかずに世界へ送り出すのです。

さまざまな支援体制を整備して、
世界政治を先導しうる若者を育てるのです。

いつまでも
世界で発言できない日本の首脳たちを見るにつけ
その必要性を感じます。

そこに大量の国家予算を投じても、
国民に返ってくるものは
はかり知れなく大きいものとなるでしょう。

ちょっと時代錯誤かもしれないけれど、
そうでもしなければ
260年の鎖国の呪縛から解きはなたれることが
できないように思うのです。

(ちょっと急いで書いてます。あしからず。
 あしたにつづく)


2008年12月1日(月曜日)

党首会談(3)

Filed under: - kawamura @ 00時15分47秒

戦後60年を越えて
政治が世襲議員に独占されているのを見るにつけ
歴史の変遷を思わずにはいられないのです。

昨日は、
古代天皇家の政権から派生した貴族政治が長くつづき、
やがてそれを打倒する武家政権が現れ、
それもまた腐敗して応仁の乱が起こり、
燃えひろがった戦火は門閥制度を破壊し、
戦国下剋上のなかから
乞食同然の藤吉郎が関白太政大臣豊臣秀吉まで成り上がった
というところまででした。

日本史上において秀吉の出現が意味するものは
古代律令政治のながれを汲む門閥政治が
完全に終焉したということです。

ワスプ(WASP、White Anglo-Saxon Protestant)
とよばれる現在のアメリカの支配階級が
黒人大統領オバマを是認したように、
400年をさかのぼる日本においても、
応仁の乱以来100年もつづいた戦乱の世を治めるために、
過去の門閥などを完全に否定して、
才能と実力とをあわせもつ秀吉を時代が選んだのです。

私は浅学ゆえ知りませんが、
これは世界史上でもまれなことではないでしょうか。

つぎに現れる徳川家康も
三河の小豪族松平氏の末裔であり、
天皇家のながれを汲む過去の門閥政治とは無縁の者です。

しかし家康があまりにもすぐれた体制を構築したために、
260年の長きにわたる安定した政権のなかで、
新たな門閥が発生しました。

直参旗本であり、譜代大名、外様大名がそれでした。

やがてその体制もまた制度疲労をおこし
黒船の来襲によって終わりを告げます。

(明日は明治維新から)


2008年11月30日(日曜日)

党首会談(2)

Filed under: - kawamura @ 08時29分26秒

日本はどうして政治三流国家となり果てたか、
ということについて考えているのでした。

党首会談で見た麻生と小沢の
国家元首としての適格性を考えたとき、
どうしてこのようなことになってしまったのか、
深い絶望から
日本の歴史にまで思いが及んだのでした。

古代に律令国家が誕生し、
やがて腐敗して官僚貴族の荘園制が生まれ、
荘園制に異を唱える開発領主たちの反乱が起きて
武家政権が成立しましたが、
脆弱な鎌倉幕府は三代で滅びます。

やがて北条氏が実権をにぎり
元寇は神風によって駆逐しましたものの、
朝廷のクーデターが起きて
一瞬天皇家が政治の中心に座りますが
たちまち追い払われて室町幕府が誕生します。

しかし頼朝にせよ尊氏にせよ
その源流は天皇家です。

源氏は清和天皇を祖とし、
足利氏は河内源氏の嫡流ですから、
古代律令制の
天皇家支配のなごりをとどめているのです。

実際江戸末期まで、
武家政権の棟梁は征夷大将軍の称号を
朝廷からさずかっています。

この天皇家と政治との関わりについては
後に考えるとして、
室町幕府が成立しやがて八代もつづくと
政治は腐敗し混乱を極めて
応仁の乱が発生したというところまで
昨日概観したのでした。

応仁文明の乱の火の手は全国におよび、
それから100年以上の長きにわたって
日本全土が戦火に覆われます。

戦火は既成のものすべてを破壊し尽くし、
下剋上の戦国時代が幕をあけるのです。

加賀の一向一揆などは
弁慶の勧進帳にも登場する名門富樫氏を追放して、
一向門徒が自治を行うなど、
それ以前の歴史からはとうてい考えられなかったような
革命にもにた時代が訪れたのです。

朝廷の命脈はおとろえ公家は四散します。

つまり、古代律令制から脈々とつづいた門閥政治が
終わりを告げたのです。

とはいえ戦国時代にも
門閥や武家政権のながれを汲む諸大名もおりました。

今川は清和源氏の末流ですし、
武田は甲斐源氏の嫡流、
上杉は越後守護代長尾氏の出身で
のちに13代将軍足利義輝から諱を授かっています。

しかし戦国下剋上の奔流は
それら門閥政治の亡霊を破砕して
その集大成とも云うべき新たな三人の武将を
日本史に登場させたのです。

日本人がこよなく愛する
あの三人の武将です。

それでも織田信長はまだ、
尾張守護斯波氏の被官織田氏の分家でした。

ところで
ちかごろアメリカでは
オバマが初の黒人大統領になったと騒いでいますが、
信長の次にあらわれた秀吉は
ほとんど乞食同然の身から
征夷大将軍にして関白太政大臣豊臣秀吉となるのですから、
とてもオバマどころではありません。

そうしてそれを当時の日本人は受け入れたのですから、
門閥をあがめる風潮は完全に潰え、
庶民のなかに、
すでに実力を尊重する思想が根づいていたということです。

じつに100年の破壊のあとに現れたのは
乞食から身を起こした天才秀吉でした。

(つづきはまたあした)


2008年11月29日(土曜日)

党首会談(1)

Filed under: - kawamura @ 07時09分58秒

(写真は最後の銀杏)

昨夜仕事場から帰った深夜のニュースで
ちらっと見ただけの印象を申しあげると、
なんとまあ人相の悪い人たちなんだろう
と苦笑しました。

麻生首相は
義弟が寛仁親王という
超名門ゆえに担がれてその気になった
クレー射撃がお上手なやんちゃ坊主、
小沢も
弁護士で東京府会議員だった父親の
弔い合戦に担がれて
27歳の若さで衆議院議員に当選したという
二世議員。

しかし二人とも
一国の首相というには
気品も知性もあまり感じられません。

どうしてこんなことになってしまったのか。

私たち日本人の立ち位置を
またシリーズで
すこしずつ考えてみようかと思います。

ざっと歴史を振り返ってみましょう。

縄文弥生はさておいて
奈良時代の大和朝廷が統治した地域はわずかなものでしたが
それでも律令制度のうえに成り立つ
それは原始共産制のような小国家でした。

やがて朝廷のまわりに
官僚貴族が発生して平安時代がはじまります。

官僚貴族の許認可権の乱用とでもいうべき荘園制が生まれて、
平安時代の後期になるとそれが崩れくずれて、
ついに東国から武士の反乱が起きます。

武士と云うのは開墾地主たちのことで、
源平の戦いとは
彼らの土地所有権を奪取するための戦いでした。

鎌倉時代の初期は、
西国にはいまだ朝廷の勢力も残っていて
奥州には藤原氏の王国がありましたから、
とても全国を統治したとは言えません。

実際、脆弱な鎌倉政権は三代で滅び
やがて起きた朝廷のクーデターもたちまち潰えて
南北朝を経たあと
なんだか歴史のあだ花のような室町期を迎えます。

現代日本文化の根幹をかたちづくった室町期は、
百年ほど栄えたあと政権抗争が発生します。

門閥政治の幕引きとでもいうべき応仁の乱が
全国に波及してゆくのです。

応仁の乱以後
江戸時代をむかえるまで
長い戦乱の時代がつづくのです。

(きょうはここまで)


2008年11月28日(金曜日)

流れる霧

Filed under: - kawamura @ 07時59分10秒

河村山を流れる霧。


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