日本はどうして政治三流国家となり果てたか、
ということについて考えているのでした。
党首会談で見た麻生と小沢の
国家元首としての適格性を考えたとき、
どうしてこのようなことになってしまったのか、
深い絶望から
日本の歴史にまで思いが及んだのでした。
古代に律令国家が誕生し、
やがて腐敗して官僚貴族の荘園制が生まれ、
荘園制に異を唱える開発領主たちの反乱が起きて
武家政権が成立しましたが、
脆弱な鎌倉幕府は三代で滅びます。
やがて北条氏が実権をにぎり
元寇は神風によって駆逐しましたものの、
朝廷のクーデターが起きて
一瞬天皇家が政治の中心に座りますが
たちまち追い払われて室町幕府が誕生します。
しかし頼朝にせよ尊氏にせよ
その源流は天皇家です。
源氏は清和天皇を祖とし、
足利氏は河内源氏の嫡流ですから、
古代律令制の
天皇家支配のなごりをとどめているのです。
実際江戸末期まで、
武家政権の棟梁は征夷大将軍の称号を
朝廷からさずかっています。
この天皇家と政治との関わりについては
後に考えるとして、
室町幕府が成立しやがて八代もつづくと
政治は腐敗し混乱を極めて
応仁の乱が発生したというところまで
昨日概観したのでした。
応仁文明の乱の火の手は全国におよび、
それから100年以上の長きにわたって
日本全土が戦火に覆われます。
戦火は既成のものすべてを破壊し尽くし、
下剋上の戦国時代が幕をあけるのです。
加賀の一向一揆などは
弁慶の勧進帳にも登場する名門富樫氏を追放して、
一向門徒が自治を行うなど、
それ以前の歴史からはとうてい考えられなかったような
革命にもにた時代が訪れたのです。
朝廷の命脈はおとろえ公家は四散します。
つまり、古代律令制から脈々とつづいた門閥政治が
終わりを告げたのです。
とはいえ戦国時代にも
門閥や武家政権のながれを汲む諸大名もおりました。
今川は清和源氏の末流ですし、
武田は甲斐源氏の嫡流、
上杉は越後守護代長尾氏の出身で
のちに13代将軍足利義輝から諱を授かっています。
しかし戦国下剋上の奔流は
それら門閥政治の亡霊を破砕して
その集大成とも云うべき新たな三人の武将を
日本史に登場させたのです。
日本人がこよなく愛する
あの三人の武将です。
それでも織田信長はまだ、
尾張守護斯波氏の被官織田氏の分家でした。
ところで
ちかごろアメリカでは
オバマが初の黒人大統領になったと騒いでいますが、
信長の次にあらわれた秀吉は
ほとんど乞食同然の身から
征夷大将軍にして関白太政大臣豊臣秀吉となるのですから、
とてもオバマどころではありません。
そうしてそれを当時の日本人は受け入れたのですから、
門閥をあがめる風潮は完全に潰え、
庶民のなかに、
すでに実力を尊重する思想が根づいていたということです。
じつに100年の破壊のあとに現れたのは
乞食から身を起こした天才秀吉でした。
(つづきはまたあした)