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2008年12月2日(火曜日)

党首会談(4)

カテゴリー: - kawamura @ 08時10分04秒

江戸時代にように
ひとつの体制が260年もつづけば
それは必然的に硬直化し制度疲労をおこし
やがては瓦解します。

ましてや西欧諸国では
産業革命や市民革命が澎湃として沸き起こっているとき、
ひとり日本は鎖国していたのですから、
江戸幕府が黒船の出現に衝撃をうけたことも
肯けるというものです。

鎖国は日本独自の文化を開花させましたが、
世界の潮流からすれば奇異な花ともなりました。

ひと言でいえばそれは箱庭文化です。

完成された支配体制のなかに押しこめられた
日本民族(戦国末期の宣教師の資料などによる)の才能は、
たとえばありふれた大工でも
数十種類の鉋(かんな)や鑿(のみ)や鋸(のこぎり)をあやつって
精密な障子の桟や柱や梁や、
あるいは日曜家具をつくりあげたように、
拡大するよりも集約する方向へ、
微細なものの美しさを創造する方向へむかったのでした。

この伝統は
現在のソニーの小型製品や
トヨタの車などに生きています。

世界の追随を許さないほどの驚くべき技術が
そこに凝縮しているのです。

私はちかごろ思うのです。

幕末の武士たちの立ち振る舞いが
西欧においてたいへん賞賛されたことを。

彼らはおそらくは
お世辞にも上手とはいえない英語をあやつり、
月代を剃り髷を結うという奇異な風体をしていたのですが、
欧米の上流人たちにはたいへん尊敬されたのです。

明治の乃木希典もそうでした。

そこで、
ひとつ提案があるのです。

話題は党首会談からはるかにそれますが、
ちかごろの円高を逆手にとって、
海外の主要大学に
留学生を大量に送り込むというのはいかがでしょうか。

それは面接を重視した留学生試験を課して、
ハーバートロースクールやシアンス・ポなどで、
国家予算を投じて大量の国費留学生に政治を学ばせるのです。

自由に英語仏語をあやつれる才能豊かな若者を
日本に閉じこめておかずに世界へ送り出すのです。

さまざまな支援体制を整備して、
世界政治を先導しうる若者を育てるのです。

いつまでも
世界で発言できない日本の首脳たちを見るにつけ
その必要性を感じます。

そこに大量の国家予算を投じても、
国民に返ってくるものは
はかり知れなく大きいものとなるでしょう。

ちょっと時代錯誤かもしれないけれど、
そうでもしなければ
260年の鎖国の呪縛から解きはなたれることが
できないように思うのです。

(ちょっと急いで書いてます。あしからず。
 あしたにつづく)


2008年12月1日(月曜日)

党首会談(3)

カテゴリー: - kawamura @ 00時15分47秒

戦後60年を越えて
政治が世襲議員に独占されているのを見るにつけ
歴史の変遷を思わずにはいられないのです。

昨日は、
古代天皇家の政権から派生した貴族政治が長くつづき、
やがてそれを打倒する武家政権が現れ、
それもまた腐敗して応仁の乱が起こり、
燃えひろがった戦火は門閥制度を破壊し、
戦国下剋上のなかから
乞食同然の藤吉郎が関白太政大臣豊臣秀吉まで成り上がった
というところまででした。

日本史上において秀吉の出現が意味するものは
古代律令政治のながれを汲む門閥政治が
完全に終焉したということです。

ワスプ(WASP、White Anglo-Saxon Protestant)
とよばれる現在のアメリカの支配階級が
黒人大統領オバマを是認したように、
400年をさかのぼる日本においても、
応仁の乱以来100年もつづいた戦乱の世を治めるために、
過去の門閥などを完全に否定して、
才能と実力とをあわせもつ秀吉を時代が選んだのです。

私は浅学ゆえ知りませんが、
これは世界史上でもまれなことではないでしょうか。

つぎに現れる徳川家康も
三河の小豪族松平氏の末裔であり、
天皇家のながれを汲む過去の門閥政治とは無縁の者です。

しかし家康があまりにもすぐれた体制を構築したために、
260年の長きにわたる安定した政権のなかで、
新たな門閥が発生しました。

直参旗本であり、譜代大名、外様大名がそれでした。

やがてその体制もまた制度疲労をおこし
黒船の来襲によって終わりを告げます。

(明日は明治維新から)


2008年11月30日(日曜日)

党首会談(2)

カテゴリー: - kawamura @ 08時29分26秒

日本はどうして政治三流国家となり果てたか、
ということについて考えているのでした。

党首会談で見た麻生と小沢の
国家元首としての適格性を考えたとき、
どうしてこのようなことになってしまったのか、
深い絶望から
日本の歴史にまで思いが及んだのでした。

古代に律令国家が誕生し、
やがて腐敗して官僚貴族の荘園制が生まれ、
荘園制に異を唱える開発領主たちの反乱が起きて
武家政権が成立しましたが、
脆弱な鎌倉幕府は三代で滅びます。

やがて北条氏が実権をにぎり
元寇は神風によって駆逐しましたものの、
朝廷のクーデターが起きて
一瞬天皇家が政治の中心に座りますが
たちまち追い払われて室町幕府が誕生します。

しかし頼朝にせよ尊氏にせよ
その源流は天皇家です。

源氏は清和天皇を祖とし、
足利氏は河内源氏の嫡流ですから、
古代律令制の
天皇家支配のなごりをとどめているのです。

実際江戸末期まで、
武家政権の棟梁は征夷大将軍の称号を
朝廷からさずかっています。

この天皇家と政治との関わりについては
後に考えるとして、
室町幕府が成立しやがて八代もつづくと
政治は腐敗し混乱を極めて
応仁の乱が発生したというところまで
昨日概観したのでした。

応仁文明の乱の火の手は全国におよび、
それから100年以上の長きにわたって
日本全土が戦火に覆われます。

戦火は既成のものすべてを破壊し尽くし、
下剋上の戦国時代が幕をあけるのです。

加賀の一向一揆などは
弁慶の勧進帳にも登場する名門富樫氏を追放して、
一向門徒が自治を行うなど、
それ以前の歴史からはとうてい考えられなかったような
革命にもにた時代が訪れたのです。

朝廷の命脈はおとろえ公家は四散します。

つまり、古代律令制から脈々とつづいた門閥政治が
終わりを告げたのです。

とはいえ戦国時代にも
門閥や武家政権のながれを汲む諸大名もおりました。

今川は清和源氏の末流ですし、
武田は甲斐源氏の嫡流、
上杉は越後守護代長尾氏の出身で
のちに13代将軍足利義輝から諱を授かっています。

しかし戦国下剋上の奔流は
それら門閥政治の亡霊を破砕して
その集大成とも云うべき新たな三人の武将を
日本史に登場させたのです。

日本人がこよなく愛する
あの三人の武将です。

それでも織田信長はまだ、
尾張守護斯波氏の被官織田氏の分家でした。

ところで
ちかごろアメリカでは
オバマが初の黒人大統領になったと騒いでいますが、
信長の次にあらわれた秀吉は
ほとんど乞食同然の身から
征夷大将軍にして関白太政大臣豊臣秀吉となるのですから、
とてもオバマどころではありません。

そうしてそれを当時の日本人は受け入れたのですから、
門閥をあがめる風潮は完全に潰え、
庶民のなかに、
すでに実力を尊重する思想が根づいていたということです。

じつに100年の破壊のあとに現れたのは
乞食から身を起こした天才秀吉でした。

(つづきはまたあした)


2008年11月29日(土曜日)

党首会談(1)

カテゴリー: - kawamura @ 07時09分58秒

(写真は最後の銀杏)

昨夜仕事場から帰った深夜のニュースで
ちらっと見ただけの印象を申しあげると、
なんとまあ人相の悪い人たちなんだろう
と苦笑しました。

麻生首相は
義弟が寛仁親王という
超名門ゆえに担がれてその気になった
クレー射撃がお上手なやんちゃ坊主、
小沢も
弁護士で東京府会議員だった父親の
弔い合戦に担がれて
27歳の若さで衆議院議員に当選したという
二世議員。

しかし二人とも
一国の首相というには
気品も知性もあまり感じられません。

どうしてこんなことになってしまったのか。

私たち日本人の立ち位置を
またシリーズで
すこしずつ考えてみようかと思います。

ざっと歴史を振り返ってみましょう。

縄文弥生はさておいて
奈良時代の大和朝廷が統治した地域はわずかなものでしたが
それでも律令制度のうえに成り立つ
それは原始共産制のような小国家でした。

やがて朝廷のまわりに
官僚貴族が発生して平安時代がはじまります。

官僚貴族の許認可権の乱用とでもいうべき荘園制が生まれて、
平安時代の後期になるとそれが崩れくずれて、
ついに東国から武士の反乱が起きます。

武士と云うのは開墾地主たちのことで、
源平の戦いとは
彼らの土地所有権を奪取するための戦いでした。

鎌倉時代の初期は、
西国にはいまだ朝廷の勢力も残っていて
奥州には藤原氏の王国がありましたから、
とても全国を統治したとは言えません。

実際、脆弱な鎌倉政権は三代で滅び
やがて起きた朝廷のクーデターもたちまち潰えて
南北朝を経たあと
なんだか歴史のあだ花のような室町期を迎えます。

現代日本文化の根幹をかたちづくった室町期は、
百年ほど栄えたあと政権抗争が発生します。

門閥政治の幕引きとでもいうべき応仁の乱が
全国に波及してゆくのです。

応仁の乱以後
江戸時代をむかえるまで
長い戦乱の時代がつづくのです。

(きょうはここまで)


2008年11月28日(金曜日)

流れる霧

カテゴリー: - kawamura @ 07時59分10秒

河村山を流れる霧。


大学での授業は

カテゴリー: - kawamura @ 07時28分15秒

体調不良のため
今日はテストを行います。

受講生はかならず出席して下さい。


2008年11月27日(木曜日)

河村祭(17)

カテゴリー: - kawamura @ 06時27分15秒

あの薄曇りの九月の午後、
神奈川県山北駅前の老舗旅館
「旭屋旅館」のロビーに
ほろ酔いのまま頬杖をついて、
大萱生(おおがゆう)氏たちと歓談していた日のことを
もういちど思いおこして下さい。

奥州盛岡の大萱生氏末裔と同席したのでした。

大萱生氏は、
神奈川県山北町に河村城址をとどめる河村秀高の子、
四郎秀清の支流です。

以下、『冑佛伝説』より転載します。

========================

 文治五年(1189)七月、
 源頼朝が奥州藤原泰衡討伐の兵を挙げたとき、
 軍勢催促の報をきいた相模河村城の河村千鶴丸も、
 譜代の御家人として参陣した。

 誕生の朝、河村城の空を鶴の群が舞ったという伝説の若武者千鶴丸は、
 そのとき弱冠十三歳であった。

 八月七日、河村千鶴丸等御家人七騎は、
 阿津賀志山の敵陣に入り、矢をはなつこと度々におよんで、
 先駆けの功名をあげた。

 十一日、頼朝は千鶴丸を召し、父の名をたずねた。

 山城権守河村秀高の四男であると千鶴丸は申し上げた。

 頼朝の官女京極局の子と知って頼朝はよろこび、
 御前において、加々美次郎長清を烏帽子親としてにわかに元服させ、
 四郎秀清と名告らせた。

 そののち河村秀清は、岩手・志和・稗貫の三郡に所領を賜り、
 志和郡大巻の地に居館をかまえた。

 テーブルの上に、岩手の町ごとに彩色された地図がひろがっている。

 冑佛が発見された場所に鉛筆で丸印をつけてあるその地図。

 修験道の霊山である早池峰山の西方、
 花巻市周辺のほんの一地域に、すべての冑佛があつまっている。

 そこが、伝説の若武者、河村四郎秀清の所領だった。

 やがて時代が下って、
 南朝方に与した河村氏は、元中元年河村秀定の孫秀基の代に、
 大巻の地から志和郡佐比内村神田へ居館をうつし、
 応永三年、同地に熊野権現を勧請して鎮守とした。

 熊野神社は、紫波町佐比内字神田に現存している。

 神社のふもとには、
 河村四郎秀清を祖とする神田館主川村喜助の末裔が、いまも暮らしている。

 そして私は、『川村家の歴史』のなかの、
 大正三年四月三日紫波郡役所に報告された「熊野神社宝物調書」の二番目に、
 つぎのように書かれていることを見出したのである。

  熊野神社宝物調書
   品名
  観音立像
   作者伝来
  作者不明、佐比内村神田館主川村喜助代々ノ信仰ニシテ
  出陣等ノ場合ハ髪中ニセリト云口碑有

 奥州の冑彿の分布と、河村四郎秀清の所領が重なり、
 さらにその子孫から家伝の観音立像が現われるとは、思いもよらなかった。

 ここに於て、追いもとめていた冑佛と、河村家の歴史とが、
 左右の掌を合わせたようにぴたりと一致したのである。

========================


2008年11月26日(水曜日)

木(き)

カテゴリー: - kawamura @ 08時12分57秒

銀杏を撮影する方々へ。

この二三日がベストでしょう。

朝八時、
今朝のような快晴の日に
谷間の静寂に身をひたし
ひたすらシャッターをきりつづけるのです。

黄金の装いに身をつつみ
銀杏は空へ飛び立とうとするかのようです。

中学二年生のときに書いた詩を思い出しました。

賢治に傾倒していたころの詩です。

木(き)
       河村隆夫

風よざわめけ
燃えたて

まっ青あきぞら
焼きこがせ

枝よはばたけ
舞いたて

みどりのはねを
撒きちらせ


2008年11月25日(火曜日)

銀杏と家

カテゴリー: - kawamura @ 08時17分03秒

今朝は銀杏と家の写真をUPします。


2008年11月24日(月曜日)

駒場祭

カテゴリー: - kawamura @ 18時38分39秒

東大駒場祭での
茂木健一郎先生の講演会に行ってまいりました。

お元気な姿を拝見して安心いたしました。

つづきはまた明日。


2008年11月23日(日曜日)

四智転得

カテゴリー: - kawamura @ 08時32分53秒

何か月ぶりかの二連休がとれて、
いつものように朝5時に目覚めたあと
ゆっくりとものを考える時間がありました。

自分はなにをしたいのか
残された人生を
なにに捧げるべきなのかを
ぼんやりと考えました。

若いころのように
意識が澄み渡って
明鏡止水ともいうべき
雑念の消失した瞬間は
なかなか訪れることはありません。

老境に近づいている今になって
自分はなにをなすべきか、と我にとらわれ、
迷妄の思いにからめとられようなどとは
予想外のことでした。

成すべきことは山積していて
御林守河村家の歴史『遠江河村荘と河村氏』の刊行、
冑佛(かぶとぼとけ)の
実物大写真集『冑佛圖録』の取材と刊行、
クオリアのこと、
それからいま取り組みはじめたこと、
そのどれひとつをとってみても
残された人生で
足りるのかどうかさえわからないというのに、
仕事に埋没していて
なにひとつ手のつかない状況です。

まったく中途半端な人生です。

しかしそうであろうとなかろうと
私はいまやりたいことをやろうと思います。

それがなにかはブログで語ることはできませんが
私にとって究極のテーマです。

あれこれ考えるよりも
いま目の前にある全集を読みこみ
よくその本質を洞察すること、
そうして自分の血肉にすること、
そこへこれまでの思索の果実を投げ込み
熟成させて一冊の書として世に問うこと、
それに集中しようと思います。

たとえ多年を要するとも
一心にことを為し、
二障を払えば四智転得すべし。


2008年11月22日(土曜日)

勾玉をめぐる随想

カテゴリー: - kawamura @ 08時09分27秒

(きのう白洲氏とお会いしたのは三度と書きましたけど
 六月に六本木のMaxvinでお会いしたから、四度でした。
 書き直しておきます。

 六月のその日は茂木先生と白洲氏とのライブ対談のあとで
 私がそのうち上げに招かれたときには
 もうとても盛り上がっていました。

 白洲氏が高校生のころに小林秀雄が亡くなって
 その葬儀のことを話していらっしゃいました。

 語り口がとてもピュアな少年の印象で、
 茂木先生も、純粋少年といった風ですから、
 そのあたりで二人は引きあうものがあるのでしょうか)

先日気のおけない仲間数人で飲み会をひらいたとき、
こんなことを私は言いました。

「西洋思想ってシンメトリカルなものが中心にあるような気がする。
 それを崩してゆく課程を楽しみながら
 結局もとのシンメトリーに回帰するみたいな感じ。
 
 東洋思想ってそういう硬直化したところが最初からないでしょう。
 
 ありのままのアンビバレンツを楽しむという風に感じられる」

なぜこの会話を思いおこしたかというと、
「新潮」のCD「勾玉について」を聞いていて、
小林が「勾玉のような形は世界のどこにもない。
日本独自のもののようだ」と言っていたからです。

(古代のトンボ玉の収集家で医師の伊藤先生に
 イスラムやエジプト圏に
 勾玉のような形のものがなかったのかを
 確かめてみようと思います)

勾玉はヒトの胎生の初期のように見える
と小林秀雄は言っています。

それは作為をまったく感じさせない
それでいてすべてが捨象された完璧な形、
魂の原初の姿とでもいう形だというのです。

現在のように
インターネットで世界がぐじゃぐじゃになってくると、
西洋思想と東洋思想という観点は陳腐で、
それは一神教文化圏と多神教文化圏と
言い換えたら良いのかもしれません。

金融危機の話もそうですが、
一神教文化圏の、
絶対神の真理から演繹される世界観と、
多神教の帰納的な世界観とは
隔絶している感じがします。

勾玉の形がそれを象徴しているように思うのです。

(二日酔いで、
 なにを言っているのか分からなくなりかけています
 が
 明日につづくのです)


2008年11月21日(金曜日)

茂木先生と白洲氏

カテゴリー: - kawamura @ 10時22分39秒

書店に注文しておいた「新潮」の今月号が
昨日私の手もとに届きました。

脳科学者の茂木健一郎先生と
作家の白洲信哉氏との対談が掲載されているのです。

白洲信哉氏とは
茂木先生が「第4回小林秀雄賞」を受賞されたときの恵比寿での二次会、
また四国の松山で開催された「青山二郎展」、
昨年末の「あんこう鍋忘年会」、
六本木のMaxvinでの打ちあげ、
と四度お会いしたことがあります。

茂木先生と白洲氏とは
酒席でのやんちゃなお姿しか拝見していませんが
互いに気が合うご様子で
その掛け合いを拝聴していると
とてもほほえましく感じます。

「新潮」の対談は
白洲氏の御祖父小林秀雄の講演についての
興味深いお話しが満載です。

たとえば
少年の白洲氏に将棋で負けた小林が
くやしいから永井龍男の家に白洲氏を連れていって
「うちの孫とちょっと将棋やってくれ」
というあたりは、
生身の小林秀雄の姿が浮かびあがってくるようです。

対談の最後の白洲氏の言葉、
「もう少し呑んで酔わないとその域には達しませんね」
というのがシャイな白洲氏の面目躍如です。

おまけに小林秀雄講演集のCDまで付いています。

買わなきゃ損というものです。

今日、大学へ向かう車の中で
『勾玉について』を聞こうと思っています。

しばらくお会いしていないお二人に
久しぶりに再会できたような
あたたかな気持ちになりました。

茂木先生
どうぞご健康に留意されて
ますますご活躍下さい。


2008年11月20日(木曜日)

銀杏

カテゴリー: - kawamura @ 07時43分11秒

銀杏(いちょう)と銀杏(ぎんなん)は
おなじ字です。

なんだか不思議な感じがしませんか。

(以下、ご自分でどちらの読みなのかをお考え下さい)

銀杏は樹で、
銀杏はその実なのに
まったくおなじ字なのです。

そういうことって、
ほかにもあるのでしょうか。

樹と実がおなじ名前ということがほかにもあれば、
ぜひおおしえ下さい。

それはさておき、
世のなかになにが起きても変わらぬように、
ほのかに銀杏が色づきはじめました。

銀杏もたくさん落ちていることでしょう。

梅の木オーナーの皆さま、
銀杏ひろいを愉しみませんか。

銀杏がほほを染めながら
皆さまをお待ちしています。


2008年11月19日(水曜日)

黒の鐘

カテゴリー: - kawamura @ 09時08分17秒

暗い時代の始まりをつげるような
不安な事件が起きました。

後世、
あれがあの時代の始まりだったのだ
と語り継がれるような
不気味さを秘めている事件です。

元事務次官への連続テロのことです。

人の命を奪うことは
たとえどのような理由があれ
許されることではありません。

殺人犯を
断罪に処すべきことは明白です。

この事件を聞いたとき、
なぜそんなことを、
と感じる人と、
それ以外の感慨をもつ人びとと
別れるのかもしれません。

老後の人生計画に占める年金の比重が
階層によって
極端に違うのかもしれないのです。

私は
まだ日本には希望があると思うのですが、
もう日本は終わってしまったと思い詰める人々が
あらわれ始めたのかもしれないのです。

日本の企業はまだ健全なのだから
銀行の貸し渋りや貸し剥がしをふせげば
また円高を政策によって阻止すれば
企業はまだ力強く生き延びてゆくはずです。

政府さえしっかりしていれば
日本に希望を取り戻すことは可能なのです。

さらに
年金問題は明らかな国家的犯罪であるのに
告発もせずうやむやにしているところが
年金のみを楽しみに生きてきた人々にとって
許し難く感じるのかもしれません。

5000万件の年金がいまだ不明のままで、
年金不正操作の問題がその後もあとを絶ちません。

国民の多くが、
これは国家的犯罪であって、
どこかで誰かがはっきりと政治的責任をとるべきである
と思っているのではないでしょうか。

金融危機への対処もうやむやで、
年金不正処理への断罪もせず、
国民の中に
国の将来への不安や
何ごともなしえない政府への不満が
鬱積し渦巻いているように思えます。

暗い時代の始まりをつげるように
遠くで鳴り始めた闇黒の鐘を
誰かが止めなければなりません。


2008年11月18日(火曜日)

観光ボランティアの会の人々

カテゴリー: - kawamura @ 07時46分55秒

突然の電話で
いまから10人ほどで
見学にうかがいたいというお話しでした。

私は体調不良で伏せておりましたので
妻が応対しました。

電話から1時間半ほどして
マイクロバスから
15人ほどの人々が降りてきました。

皆さまを御林守河村家住宅にご案内して
妻が一通りの説明をしていると、
「蓬莱橋周辺整備促進協議会」の会長さんが

「この家は他所へ寄付していますか?」

と訊いてきて、妻は返答に窮したというのです。

「初倉の報徳社は年間何百万円も寄付していますよ」

初倉の報徳社がどのようなものか妻も私も知りません。

「文化財河村家住宅」の草刈りや庭師の費用など
周辺の維持管理をするのに、
島田市から一年間に4万円弱の補助があり、
それだけでは足りないので
昨年から梅の木オーナー制度をはじめて
なんとか草刈りや庭師の費用が
捻出できるようになったところです。

妻はそれを説明するのも気が引けたようで

「それはすばらしいことですね。
 でも我が家はとても寄付できるような状態ではありません」

とだけ答えたというのです。

文化財を所有することで
どのような収入があるとお考えなのでしょうか。

おそらく多くの人たちの
文化財所有者への
お考えは同じようなものなのかと思うと
なんだか暗澹たる思いです。

1時間ほど妻がご案内して
みなさんはお帰りになりました。


2008年11月17日(月曜日)

郷土史研究会の皆さまが

カテゴリー: - kawamura @ 21時57分04秒

先日、
郷土史研究会の皆さまがおみえになりました。

会長の大石孝様は、
金谷町の文化財保護審議会の委員をしていたころから
よく存じ上げています。

ナギナタガヤを教えて下さったのも
大石様です。

朝9時に、童子沢公園の入り口で待ちあわせて、
10人ほどで天王山の頂上に登りました。

曇天でしたが風のないおだやかな日でした。

牧ノ原の諏訪原城、横岡の鶴見城、掛川市の松葉城
などについてご説明いたしました。

その後、御林守河村家に移動して
家の歴史などをお話ししました。

帰りがけに、
大石様から高額のご寄付をいただき
恐縮いたしました。

さっそく「御林守河村家を守る会」の通帳に
入金させていただきました。

有難うございました。


2008年11月16日(日曜日)

原理主義(2)

カテゴリー: - kawamura @ 07時16分27秒

G20でのアメリカの脳天気さは
いささか拍子抜けするほどです。

ブッシュが振りまく笑顔は、
場違いな感じが否めないと思いませんか。

金融危機を引き起こした張本人が
なんだか晩餐会の主役と錯覚しているかのようです。

それこそが
アメリカ自由市場原理主義者としての
確信犯の姿です。

アメリカと欧州の金融危機への対応がやや違うことは
以前もすこし述べました。

欧州は
キリスト以前の華やかな文明の歴史を持っています。

ギリシャ文明も偉大なるローマの歴史も
欧州の生活の中に名残をとどめています。

ライン河岸の駅で列車を降りて
なにげなく立ち寄ったレストランは、
ローマ時代の砦を改装したものでした。

歴史が欧州の知性に厚みを加えています。

アメリカは自由平等博愛の思想を根幹にしていますから、
歴史が浅く、
それゆえ短絡的な原理主義者の姿を
露呈することになったのでしょうか。

(ちょっとあわてて書いてます。
 いまから会合に出席しますので
 つづきはまた明日)


2008年11月15日(土曜日)

原理主義

カテゴリー: - kawamura @ 08時00分00秒

まさかそこまでとは知りませんでした。

彼らは神を信じ、
共産主義という愚かなドグマを
70年間も信じることができる人々です。

一神教の彼らは、ドグマが好きなのです。

キリスト者は
十字軍の旗のもとに回教徒を殺戮し、
またスターリンや毛沢東は、
共産主義の名の下に
ヒットラーをもはるかに越える
大虐殺者となりました。

それと同じように、
アメリカもまた原理主義であると知りました。

彼らはあたかも、
地球が滅んでも自由主義経済原理は守るべし、
と言っているかのようです。

GMは破産すべし、それが資本主義である、
と言うのです。

我ら仏教徒には思いも及ばない頑なな世界です。

イスラム原理主義者が爆弾を身体に巻いて
テロ攻撃をするように、
アメリカの自由主義原理主義者は
金融時限爆弾を世界にばらまいて
アイスランド国家を破産に追い込むほどの
金融テロリストだったのです。

彼らはそれを正義と信じています。

(明日に続く)


2008年11月14日(金曜日)

ブログ失念

カテゴリー: - kawamura @ 21時32分09秒

本日多忙ゆえ
ブログを忘れておりました。

明日書きます。


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